海を照らす光 紹介①(高遠弘美先生について)

最近とても本を読むのが好きになった。好きになった背景には、高遠弘美先生と、古屋美登里先生がいる。この本の感想を書くのにはどうしても必要なお二人なので、以下に先生方のことについて述べる。

 

私は大学1年の時に高遠弘美先生にフランス語を習った。残念ながら、語学がどうしても苦手な私は、フランス語を好きになること、そしてフランス語を習得することはできなかったが、フランス語選択のおかげで、(そしてたまたまの運で)高遠弘美先生に出会えることができた。大げさではなく、本当にこれは何事にも変えられないほどの出会いだったと思う。定期テストのためだけに覚えるフランス語は私にとっては意味をなさなかった。(もちろんフランスにいつかは旅行にいって見たいし、その時にかっこよく話せたら素敵だとは思うけど・・・。)しかし高遠先生が教えてくださったのはつまらないフランス語だけではなかった。先生を慕うのに時間はかからなかった。

 

高遠先生をWikipediaで検索すると冒頭には以下の情報が出てくる。

高遠 弘美(たかとお ひろみ、男性、1952年3月22日[1] - )はフランス文学者翻訳家明治大学商学部教授。

長野県生まれ。1974年早稲田大学文学部仏文科卒、1984年同大学院博士課程満期退学。山梨県立女子短期大学教授などを経て、明治大学商学部教授となる。マルセル・プルーストが専門だが、矢野峰人を敬愛し、井村君江らと「矢野峰人選集」の編纂に当たった。ほかに、日本文学や美術に関するエッセーなども多数執筆している。 

高遠弘美 - Wikipedia

もちろん間違っている情報はないだろうが、これでは先生の素敵はお人柄などが一つも出ていない。私の拙い言葉で先生を、しかも一言で紹介しようものならこのように言う。「藝術を深く愛し愛され、ユーモアに富んだ藝術家」。

 

話はどんどん飛ぶが、私が先生のゼミに入室した理由は先生の藝術に対する姿勢に強く惹かれたからである。先生は「人生には辛いことがある。しかし藝術がそれを支えてくれる」と言うことを教えてくださった。20の私が高校生をみて、「高校生は〜」とか、ましてや年齢が一つ二つしか離れていない後輩たちを「1女は〜」「2女は〜」などと言うのは、きっと私がもっと歳を重ねたらなんともおかしなことだと思う。20年しか生きてきていないのに、この世の全てを悟った風に気取っているだけで、結局私たちはまだまだ知らないことの方が多い。悲しいことだけど、きっと悲しみだって、これから出会うかもしれないどん底と比べたらきっと「今のどん底」は可愛いものだと思う。本当のどん底にはまった時、もしかしたら最愛の家族・両親・ペットはこの世にいないかもしれない。きっとそんな私を救ってくれるのは、この先もずっと変わることのない藝術なのだろうと思う。

 

先生のゼミに入って、様々な映画を観てきた。60年代などの昔の作品(恋愛だったり戦争だったり)もあれば、ひつじのショーンで知られる「ウォレスとグルミット」シリーズを見ることもあれば、はたまた「孤独のグルメ」を見ることもあった。これだけでも大分幅が広いことはわかると思う。映画を見るのは昔から好きだったが、1週間に1本となると結構な量を見ることができる。「映画は小説と違い、ストーリーだけではない」、これも高遠先生が仰っていたことだ。小説を元に、音楽が流れ、俳優や女優がその世界観にどっぷりと浸かった演技をする。私はファッションが好きなので、映画中の服や小物にもとても注目している。そして何より「カメラで映画を撮る」ことによって映画が生まれる。映画の元になっているのは写真だが、「写真は写すものも大事だが、それよりも何を映さなかったかが大事だ」。これまた先生の受け売りだ。

 

こうして先生のセレクトの元、様々な映画を観てきた。様々な時代や国の男女の恋愛模様(張り裂けそうな人生なども)を観てきた。感情移入しやすい私は様々な主人公の気持ちに寄り添ってきた。ゼミに入室し1年以上がすぎた今では映画を見ることは私の趣味の一つとなっている。中でもオードリー・ヘップバーンは私にとって天使のような存在である。

 

しかし、どうしても読書の習慣はつかなかった。(続く)